2014年8月27日水曜日

租にして野だが卑ではない

租にして野だが卑ではない

金銭や名誉や地位を欲しがる人ほど卑しい。戦後を代表する実業家。三井物産社長から国鉄総裁へ転身した石田礼助の名言です。

接待ゴルフや料亭等での飲み食いを常とする高級官僚・政治家・大企業幹部へ。『偉ぶる人ほど卑しい人はいない』と冷水を浴びさせた。ついこの間まで日本には石田のような尊敬できる人がいた。本当に“偉い人”がいた。

数々の経済小説で有名な城山三郎も石田の生き方を小説(租にして野だが卑ではない)にしいます。その中で、どの業界でも指導的立場にあるヒトは世間から常に厳しい目で見られていることを覚悟しなければならない。

~相当、偉い人でも本人が卑しいと思ていない事でも周囲から見ると「卑しい行い」と思われることが多々ある。一端、この人は卑しい…と思われたら、そのレッテルを剥すことは終生難しい云々…と書いています。

石田の座右の銘...

 <激さず・騒がす・競わず・従わず>


今更遅いが、遅過ぎるは事はない。少しでも見習いたい。そう思っています。

2014年8月5日火曜日

facebook 8月 まとめ

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生き方の7つのルール

1.過ぎ去った事は悔やまない。今に生きる。
2.他人がどう言うと気にしない。
3.時が全てを流してくれる。
4.他人と見比べない。批判しない。
5.考え過ぎない。答えが出ずとも良しとせよ。
6.幸せは誰でもない自分にしか創れない。
7.笑え。笑うことが唯一誰かの役に立つ。

美空ひばりの大ヒット曲「川の流れるように」とどこが似てますね。

知らず知らず 歩いて来た 細く長い この道
振り返れば 遥か遠く 故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏に 染まるだけ
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この日の事はよく覚えています。昭和45年11月25日だったのですネ。私はマニラ(フィリピン)にいました。44年前です。

フィリピン大手新聞一面に大きな写真。床に“生首”がゴロリ…。ショックキングな写真でした。何故そうなったのか。海外在中だったので前後の詳しい事情は知りません。が、割腹した彼を日本刀で斬首したあの若者。同世代。その後、どんな人生を送ったのか。今どこで何をしているのか。気になります。

今は昔、今後の平和を維持するための国防の在り方。これまでとは大きく変化した東アジア情勢。日米安保の役割。集団的自衛権をめぐり賛否両論、意見が分かれています。今の日本、あのヒトならどう言うか…。訊いてみないですネ。

 
人の性格や性質を血液型で分類。生まれつきの“血”で生き方が決まるとは到底承服できません。が、言われて見れば、思い当たる節があるから不思議です。

さて、ロシアの小説家ツルゲーネスは大胆にもヒトを二つに分類。曰く、「ドンキ・ホーテ型」か「ハムレット型」か。
前者は理想主義者。現実より理想を重視。チョット向こう見ずだが行動派。後者は懐疑主義者。行動より思考を重視。石橋を叩く慎重派。言われて見れば、思い当たる節があるからこれも不思議ですネ。勿論、個人的にはドンキ・ホーテさんタイプが好きです。

あなたはどっちのタイプが好きですか。ドンキ・ホーテさん(?)それともハムレットさん(?)…。

過去の栄光への拘り。屁理屈の横行。“大英帝国”は病んでいた。大鉈を奮って国家改造したヒト。「鉄の女」。日本にもこんなヒト(女性)がいれば…。思い当たるのは独りだけ。安倍さんも恐れる“保守人”。桜井よしこさん。この病んだニッポンを治してほしい。

近々、阿部内閣改造とのこと。が、このヒトが入閣する可能性はゼロ。“人気者”大好きな自民党はこのヒトにだけは声を掛けなかった。腹の座り方が違う。怖いからネ。

そこがイギリスと日本の違いかな…

Honda Spirit

どのカンバニーもそれなりに創業者スプリットが残っている。が、ホンダは強烈。反骨精神。未だに“泥臭い”。そこがカッコいい。


過日、国内総会で出会った若者との立ち話。元気がイイ勉強したいので「本を紹介して欲しい…」とのこと。何を学びたいの(?)と訊くとショット困惑した顔で「生き方ですかネ」と言う。“重いナ~”と思いながら脳裏に浮かんだ一冊『ガルシアへの手紙』。

昔、キューバの領有権を巡ってアメリカとスペインが戦った時の実話。キューバ在住の反スペインの革命家ガルシアへアメリカ大統領の密書が送られた。何とローワンという無名の若き軍人に託さらた。ガルシアがどこにいるのか。どうすれば会えるのか。何もかもが不明。が、ローワンは無言で承諾。直ぐに旅立つ。そして、首尾よく任務を果たす。数週間後、何食わぬ顔で帰国。これまた多くは語らなかった。

今の若者が苦手とすること。が、最も求められていること。すなわち、不安定な状況の変化への対処。課題の探し方、行動の起し方、そして、期待された結果を出す。自分で考え、自ら行動し、目的を達成する。そんなエッセンスが短いストーリーの中に詰まった小冊子です。

あの若者から本日メール返信。どう生きればイイのか少し解りました…とのこと。よかった。頑張れヤングマン。

深夜、BSで「ビーチボーイズ・フォーエバー」と題した再放送番組を観ました。懐かしかった。

我ら≪団塊の世代≫にとっては、ビートルズ、ローリングストーン、そしてビーチボーイズは三大巨匠バンド。特にビーチボーイズは憧れのアメリカ西海岸の若者文化を象徴する存在でした。独特で軽快な明るいメロディーを聴きながら、青い海、ビギニの娘、サーフィン、オープンカーなどが似合うオシャレな街サンタモニカを連想。妄想で頭が一杯だった学生時代。が、ズーッと後になってから、仕事で、イングルウッドへ行く機会がありました。元リーダー、ブライン・ウィルソンらメンバーたちの出身地です。LA空港の裏側。何もない燦々とした淋しい街。“ビーチボーイズ”のイメージとは全く縁遠い処でした。こんな街にいた無名の若者たちが世界中を虜にしたあの“サーフィンUSA”など数多くの名曲を創ったのか…。意外でした。環境と発想は案外無関係なのかも知れませんネ。

番組の中で初老のブライアンがビアノ弾き語りで唄った四曲。齢相応の“枯れ声”がこれまた素晴らしかった。

NYブロードウェーで大ヒット。今もラスベガスでロングラン中だというビーチボーイズのヒット曲を集めたミュージカル『サーフ・ザ・ミュージカル』。機会があれば是非観たい。

夏休みを満喫中。

近所のクラブで一泳ぎ、そして、駅前の本屋をぶらり覗く。玄関正面にドカンと中国古典コーナー。一番薄くて字が大きい簡単そうな一冊を衝動買い。『論語』のダイジェスト版。昨夜読みました。面白かった。

論語は孔子の言葉や問答を、死後、弟子たちが思い出しながら編集したモノとのこと。“聖書”にどこか似ているナと感じました。さて、冒頭からどこかで聴き思えのある人生の三大原則が書かれていました。論語からの引用だったのか…と。つまり…。

~素直さ・勉強好き・前向きさ~

2000年以上前からヒトは同じ方向で生きていたのですネ。その他、聞き覚えのある有名な四字熟語がバラバラと出てきました。論語好きの方から叱られるかも知れませんが、要するに論語に繰り返し書かれている事は二つ。つまり…。

『礼』(礼儀)と『仁』(良心)

そう言えば、今の日本、偉い人ほどこの二文字が欠けています。ウソや不真面目さを上手に誤魔化す。そんな“偉いヒト”が多過ぎますネ。せめて私たち庶民は『礼』と『仁』を尊ぶ生き方をしたいものです。


終戦記念日、今年は69回目だそうです。

44年前の今日(1970年8月16日)。忘れられない思い出があります。当時、私はフィリピン水泳連盟のお抱えコーチの一人でした。マニラ市内にあった国立プールで朝練後、朝食へ。薄暗い路地裏を独り歩いてきた時です。“Hey! Jap!!”と声を掛けれた。後ろを振り向くと数名の若者がバケツを片手に立っていました。突然、バサ・バサ-ッと水を掛けられた。彼らの不気味な笑い顔。ゾーッとしました。後日知った事ですが、新聞トップ記事は靖国参拝。深々と頭を下げる日本人の写真がデカデカと載っていました。

戦後まもない頃(25年後)でしたから、まだ戦争の傷が癒されないフィリピン人が多くいた時代です。

濡れた衣服は渇きます。が、ポケットに入れていた自慢のストップウォッチ(SEIKO製)はダメになりました。暫くウォッチなしで教えていました。あのウォッチは捨てきれずに手元あったのですが、その後、どうしたのか…思い出せません。

ご興味のある方は こちらへ ↓↓↓
http://junkonno1.blogspot.jp/2010/08/blog-post.html




STAP細胞疑惑の渦。再生細胞医療分野のトップ研究者が亡くなった。

“人格暗殺”(Character Assasination)

メディアの攻撃。世間の冷たい目線。功を急がせた上層部。追い込まれたエリート科学者が選んだ「死」への道…。ショック。

彼を殺したのは誰だ。

ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。


友人は多くなくてイイ。少ない友人と誠実につきあう。
一生、励まし合ってゆく。それで充分ではないか。

『人間交際術』by アドルフ・クリッゲ



今日から8月。連日の猛暑。久しぶりに電車通勤。

車内は結構混雑。妊婦さんが乗車。座席の人々、少しづつ腰を浮かし、席を作った。妊婦さん、軽く会釈して座る。仰々しく席を立つ人もなく、無言。さり気ない。

込み合った場所では、握り拳一つ分、腰を上げ、空をつくる。すれ違う時、少し肩を斜めにして互いに触れないようにする。他人の顔や姿をジロジロ観ない。目をそらす。このようなチョットした気配りは“江戸透かし”と言う。

当時、江戸は世界一の人口密集都市。迷惑行為が最も嫌われた。互いに気を配る。さりげない行いが「粋」(カッコいい)とされた。

今日、電車の中で“江戸透かし”を見ました。今も昔も「粋」ですネ。

2014年8月4日月曜日

昭和の15年 70年後の今も足かせ 軍国主義


今年もあの日が来ますネ。1945年8月6日、午前8時15分。

広島へ原爆投下。2日後、長崎へ。2個で計20万人死亡。これがフィニッシュとすればスタートは満州事変。1930年9月、関東軍が柳条湖で鉄道爆破。その後、15年間で日本人、軍人600万人、民間人100万人が死んだ。

総帥権を傘に日本を“私物化”した陸軍参謀本部のエリートたち。極東裁判も難なく潜り抜け、戦後、無言。高額な恩給でヌクヌクと生きた。ずる賢い“妖怪”たち。

上の写真、広島直後、この少年は肉親の“葬儀”を独り見送っている。背中の弟は既に死しでいるらしい。このヒト、その後、どうなったのでしょうか。生きていれば80歳代のはず。どんな人生を歩んだのか。目頭が熱くなる一枚です。

下の写真、ご存じ司馬遼太郎。『竜馬がゆく』2125万部。『坂の上の雲』1475万部。戦後を代表する歴史小説家です。没18年経った今も日本社会に様々な影響力を持っていることはご承知の通りです。

幕末の坂本竜馬、明治大正の秋山兄弟。歴史の陰に佇んでいたヒトにスポットライトを照らし、世に知らしめた。多分、司馬が小説化しなかったら、彼らは歴史の中に埋もれたその他大勢の一人に過ぎず、決して今に名を残すことはなかったでしょう。

40数年前、フィリピン時代。マニラ市内にあった日本大使館に隣接した附属図書館に『竜馬がゆく』全5巻がありました。リザールプールで朝練(水泳指導)、遅めの朝食。それから昼まで冷房がギンギンに効いた図書館の一室で読書。それが“日課”でした。全5巻を数回読破。大の竜馬フアンになりました。そして、月遅れで届く月刊誌『文藝春秋』。司馬遼太郎の連載対談記事が楽しみでした。青春の思い出です。

さて、司馬は、長い日本史の中でも特に異様で奇妙な15年(ファシズム)。つまり、満州事件から終戦までの“昭和”を題材に次なるミリオンセラーを書こうと挑みた。この時期の権力機構の中枢だっ
た陸軍参謀の中に「次なる日本を考えた」日本人を探し求めた。厖大な軍事資料に目を通し、生存者を訪ね、10数年、東奔西走した。が、断念。小説に書きたい魅力的な人物は誰一人見つけられなかった…と後日『この国のかたち』の中で語っています。

ファシズムへと日本が疾走した道筋。資本主義が行き詰まり金融恐慌。政治家の弱さを金で動かした財閥。不景気の中であえいだ民衆。そんな不甲斐ない国家に不満を抱いた軍部。青年将校たちの背中を押した上層部。五・一五へ。二・二六へ。やがて国家総動員法が成立し、大政翼賛会で政治家全員を“封印”。思惑通り、軍人が管理運営する国家が実現した。その傲慢で強固な軍国主義が今に至る中国と韓国の反日感情の根底になっています。

なぜそんな道を歩むことになったのか。満州を植民地化することで欧米列強と肩を並べようとした軍部が悪かったのか。党利党略、私利私欲に毒された卑しい政治が悪かったのか。軍部の躍進に胸を躍らせた民衆が悪かったのか。たった15年の「昭和」の歴史が未だに日本の足かせになっているワケです。

大日本帝国陸軍参謀本部の中に屯していたエリートたちは知識人の仮面を被った“妖怪”だった。頭脳明晰だが、教養も哲学もない。小説化に耐え得る魅力的なヒトはいなかった。今も彼ら“妖怪”のDNAを受け継いだエリートたちが街を闊歩しているかもしれません。霞が関・永田町・丸の内あたりにいそうですネ。ご注意を…。