2011年2月16日水曜日

ユダヤをマサダに追い込んではいけない



エジプトのムバラク大統領が辞任。30年間続いた独裁政権が崩壊しました。チュニジアに続き、イスラム国家の政変です。それもツイッターとかフェイスブックといったソーシャルネットワークでの呼び掛けが市民パワーの原動力になったというのですからインターネットの威力を痛感する出来事です。アラブの大国エジプトの政変で過激なイスラム原理主義の勢いが高まるとしたら世界はどうなるのか。ちょっと心配です。

いずれも元軍人の独裁政権ですが、この二人がいたことで中東の微妙なバランスを保ってきました。一人は反米の故フセイン(イラク)、もう一人が親米のムバラク(エジプト)です。二人の立場が違うとはいえ双方が中東イスラム諸国へ"睨み"を利かせてきたわけです。だから、かろうじて安定してきた。今回のムバラク政権の崩壊で最も微妙な立場に追い込まれているのがイスラエルではないでしょうか。何せエジプトとは長い国境を接しており、これまで何度も"紛争"を繰り返した経緯があります。サダト暗殺後、ムバラクが親米だったのでかろうじてイスラエルは安定した成長ができた。ムバラクが長期政権でなかったとしらら、もしかして、第三次大戦が始まっていたかも知れません。

なにせ旧約聖書の出エジプト記を例に引くまでもなくエジプト人とユダヤ人は大昔から骨肉の争いをしてきました。ユダヤ人にとって民族絶滅の危機が三回あります。その一つがエジプト人。他の二つはローマ人とドイツ人です。古代ローマ時代、エルサレムが支配され、抵抗したユダヤ人が立てこもり、兵士967人がローマ軍1万5千人を相手に壮絶な長期戦(2年間)に挑み、結局、ユダヤ人は全員自決。ユダヤ魂の象徴とされる特別な場所があります。死海に面した岩山に築かれた巨大な山城、マサダ砦です。紀元前120年頃に建設。2001年に世界遺産に登録されました。

私は1999年3月と2006年6月の二度、テリアビブ(イスラエル)を訪れる機会があり、マサダ砦を訪れたことがあります。テリアビブから死海沿岸のマサダまで車で3時間程度ですが、この間に全世界が凝縮されていると言われています。確かに大都会(テリアビブ)⇒農地⇒森林⇒山河⇒砂漠(マサダ)へと目まぐるしく風景が変化します。エジプト人もアラビア人もユダヤ人もこの地を何としても死守したかった理由がよく分かるような気がしました。 イスラエル国防軍の入隊式は毎年、この地、マサダで行われるそうです。新生エジプトがイスラム原理主義的な動きをしないように祈るばかりです。イスラエルを窮地に追い込むようなことをしたら彼らはマサダの戦いを再現するに違いないからです。