2010年9月27日月曜日

日本人はどこへ行ってしまったのか

講習会へお招きしたスイス人の先生と朝食をご一緒しました。のっけから前日のニュースが話題になりました。つまり、拘束中の中国人船長を急遽保釈。帰国させたことです。そのことへの感想と意見を聴かれました。いまの日中間のパワー格差を考えると止むを得ない。が、情けないのは国家戦略の無さです。シナリオ無き外交とでも言うべきか。最悪の結果にガッカリしているとボヤくと、彼は「日本政府の悪しき判断は多分、日中関係だけでは済まないであろう。アジア諸国全体へ波及するに違いない」とキッパリ言い切りました。ドッキ(!)…。

スイス人気質を現す一つの例として語り継がれているストーリがあります。それは第二次大戦時、旧ドイツと交わした交渉劇です。当時、世界最強だったヒットラー率いるナチ軍がスイス経由で祖国オーストラリヤへ凱旋する時、無条件降伏を迫ります。スイス政府は一歩も譲らす、粘り強い外交交渉をします。そして、万一、交渉決裂した場合を想定し、主要道路に掛かる大きな架橋へ爆弾を設置。ドイツが侵攻してきたら全ての橋を爆破すると宣告。ビットラーはギリギリまで迫りますがスイスは譲りません。結局、スイス侵攻を断念、迂回したのです。

そんなスイス人の子孫から観ると、今回の日本人の不甲斐なさに呆れたに違いありません。なんせ私たちの祖先は100年前、二つの大国、中国&ロシアを相手に絶対絶命の戦いに挑み、勝利したのですからネ。当時の世界情勢と今とでは大違い。が、しかし、私たちは彼らの子孫には違いありません。日本人の気骨と精神。せめてあの時のスプリット(Spirit)とアイデンティティー(Identity)だけは持ち続けねばなりません。そんな意味のことをスイス人の先生から遠まわしに忠告されました。ガック(!)…

2010年9月23日木曜日

中国も「変」ですが日本もかなり「変」です

都合のイイ言葉があるものですネ。説明できない事、都合の悪い事、何か言いにくい事があれば「地球温暖化のせいかも知れませんネ…」と言えば一応言い逃れができます。今年の夏は宮崎での口締疫、各地でのゲリラ豪雨と猛暑。訳が分からないので地球温暖化(Globe Warming)のせいにしておきましょう。とにかく暑かった。東京で30℃以上の真夏日が71日とか。昨日は「中秋の名月」(十五夜)だったのですが暑い一日でした。が、ついにこの暑さも終わり。今日は朝から秋の長雨です。

そして、尖閣列島での中国漁船の領海侵犯に絡んだ衝突と拿捕事件です。世界第二の大国のはずの中国ですが、そうとは思えぬ過激なリアクションにびっくり。日本人学校への投石。官民あげての非難と罵声。日本政府関係先へのサイバー攻撃。人気芸能人コンサートの中止。なんと言う事でしょうか。過去の日本人がチャレンジした植民地政策への仕返しなのでしょうか。満州事変→大東亜共栄圏。旧日本陸軍の無謀なゴリ押し。あの時の屈辱的な記憶が未だに中国人に強く残っているからでしょうか。それともあの列島下にあるとされる地下資源への利欲からなのでしょうか。訳が分かりません。昨日からスタートしたNYの国連総会。管総理のデビュー演説も首脳会談も、中国側からシッカリ無視されているらしい。それにしても大人気ない話しです。大国のパワーエゴ。そう思いませんか。

そして、障害者優遇制度の郵便特約に端を発した行政高官の逮捕劇。控訴不可。容疑者とされた女性の毅然とした立派な態度と冷静な会見の言に感激しましたネ。それに比べ、検事自らがした信じがたい行為。名誉か権威か、何を守りたいためにしたのか分かりませんが、証拠改ざんしたと言うのですから驚きです。公益や治安を理由に検察と警察がタックを組めば最強の国権と化します。その気になれば、どんな事であっても、意のままに事件化できることになる。一市民は言うに及ばず、なんなら国会議員でも、意図する犯罪者に仕立て上げることだってできる。何と恐ろしい事でしょうか。それがこの日本でも起こり得るのだとしたらゾーッとします。とんでもない事です。

中国も日本も何か「変」です。これも地球温暖化のせいでしょうかネ。

2010年9月13日月曜日

アラビア人の不可解な価値観



47の物語から成る旧約聖書の冒頭は有名な創世記です。アブラハムから始まる親子3代の族長物語。その舞台となったのがチグリス・ユーフラテス川に栄えたメソポタミア文明。現在のイラクの地です。アメリカ軍はその地に7年間進駐。1兆ドルの巨額な戦費を投入。4500人の若者(アメリカ人)が戦死。その30倍とも40倍とも言われるイラク人が死んだとされます。2001年9月11日のNY多発テロ事件に端を発した二つのブッシュ戦争の一つ。もう一つは現在も進行中のアフガンです。アメリカの都合で侵攻。彼らの都合で撤退。「イラクの自由作戦」と命名されたその戦争が2010年8月31日で終了しました。両国ともに得たものは何もなく、失ったものばかり。悲惨な結末です。アメリカはベトナムから何を学んだのでしょうかネ。

とは言え、イラク側にも責任の一端はあるのでは…と私は思っています。その訳はアラビア人の不可解さです。なぜ、あの時(7年前)、フセイン(イラク大統領)はブッシュ(アメリカ大統領)が疑惑を招くような不思議な言動を繰り返したのか。なぜ、有りもしない核兵器(?)をさも有るが如く、思わせぶりな態度を取ったのか。フセインは駆け引き上手なアラビア人の英雄。ですから、その得意な駆け引きに自ら溺れたのでしょう。まさかアメリカが本気で攻めて来るとは思わなかったのかも知れません。フセインもブッシュも払った代償は計り知れぬほど大きい。傷跡を癒すには長い時間がかかるに違いありません。

理屈好きで駆け引き上手なアラビア人気質について、私は体験的に学習したことが多々あります。二十代後半、フィリピンの国立大学に勤務していた頃のことです。訳あってイラク人の中年男性と半年ほどルームメイトだった時期があります。当時、彼はイラク首都バクダット市内の小学校の校長先生。教育学博士号を取得するためフィリピンへの国費留学者でした。

ある日、私の私物であるタイプライター(今では見かねない代物ですが…)を貸してくれと言われました。気前よく貸したのですが、その後、何度催促しても返してくれる様子が全くありません。シビレを切らした私は、彼が留守中、私の机の上にタイプライターを戻しました。使用中、彼が帰ってくるなり、猛烈に怒り出します。「なぜ私の許可なく、勝手に戻し、使っているのか」と言うのです。要するに占有権と使用権とを分け、使用権のある彼の方が優先されるべきだと言い張るのです。

万事、これに類した理屈っぽい話しが数多くありました。私との駆け引きを彼は楽しんでいるようにも見えました。それに加え、朝夕、コーランを英訳して聞かされます。イスラム教とキリスト教の考え方の違いが少しは分かったので為になったのですが、宗教談義にヘキヘキした頃、彼は他のイラク人留学生と一緒に住むことになり、引っ越して行きました。ホットしましたネ。その時の開放感は何とも言えず、独りで祝杯を挙げた程です。英語が上手だった彼、アブラハム・ラヒム氏は今頃、どこで、何をしているでしょうか。