2010年5月19日水曜日

ピューリッツァー賞の写真現場に立って


報道写真の頂点、ピューリッツァー賞の写真はどれも強烈で衝撃的です。その一枚、1973年、賞に輝いた写真。ベトナム戦争です。修羅場を背景に幼い少女が裸で逃げ惑う。ナパーム弾で大火傷した少女。世界中がベトナム戦争反対へと一気に動き出す超有名な一枚です。

この写真には後日談があります。その時、カメラマンは写真を撮った後、重症の少女を病院へ搬送。少女(当時9歳)は一命を取りとめ、14ヶ月の入院中17回の手術を受けた。その後、身寄りのない少女はカナダへ。養父母のもとで大学進学。結婚。二児の母親となり、国連・ユネスコの親善大使へ。反戦主義のシンポル的な存在として活躍した。

そのカメラマンは38年ぶりに"少女"(今は47歳)と再会した記事が新聞に載っていました。

ベトナム戦争が終って30年目、2005年2月、知人のアメリカ人(ベトナム戦争に参戦した兵士たち)と一緒に持参した自転車でイントシナ半島を縦断する旅をしました。2週間で1200キロを走破。大変でしたが生涯思い出に残る貴重な体験でした。目的地ホーチミンシティー(旧サイゴン)に近づいたある日、例のピューリッツァー賞の撮影現場に立ち寄りました。その場所からその方向を観た写真です。のどかな田園風景が広がり、30年前、そこが修羅場だったとはまったく感じられませんでした。写真の少女の手前にいる少年の縁者が経営するレストランがあり、そこで昼食を取ったのですが、大きく引き伸ばされた例の写真が壁に掛けられていました。

その数日前、ソンミン村虐殺事件の現場となった場所にも立ち寄りました。今は村全体が国立戦争博物館となっており、あの日のままの状態で保存されていました。元米兵の知人たちは目を潤ませ、案内役(元ベトコン兵)の説明を熱心に聞いていました。帰りの道程、いつも陽気な彼らは誰も一言も話さず、ただ黙々とベダルを踏んでいました。

1 件のコメント:

  1. 匿名23:48:00

    Mr. Konno, thank you for your interesting story!

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